平林金属株式会社

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未来へ向けて

鉄のリサイクルが中心だった平林金属は、非鉄金属やミックスメタル、希少金属、
プラスチック、家電・小型家電と、時代の要請を読み、常に次なる一手を考えて成長してきました。
近い将来から未来に向け、常に準備し、数少ない好機を見逃さない姿勢は変わることがありません。

前人未到の地はまだたくさんある

これからの未来を見つめたとき、マイナス面を挙げれば、動脈産業のものづくりは日本国内では飽和状態であり、人口減や工場の海外移転が進む予測も併せて、我々静脈産業に回ってくる絶対量はますます減るでしょう。

一方で、リサイクルできていない前人未到の地はまだまだたくさんあります。例えば、数年前から全国各地にものすごい勢いで設置されている太陽光パネルは、「20年計画」でスタートした制度に基づいています。ということは、20年後、何千万枚の太陽光パネルが、処分あるいは廃棄される可能性がある、ということ。リサイクルのプロとして、太陽光パネルのごみ問題が起きないように、きちんと対応できるように体制を整えておく必要があるし、それが社会に対する企業責任でもあります。

つまり、研究すべき分野や解決すべき課題は山積みであり、それと同じ数だけチャンスがあるということ。いまあるものを細分解したり、複雑な材料で作られた産業機械や生活用品に対応できるようにしていったり。ヒラキンという会社があって便利だとか、助かったとか、世の中に必要だと思われる、喜んでもらえる数を増やしていく。

これまでも、地方の中堅都市に位置するヒラキンは、東京や大阪のように「回収量」を追いかけられないぶん、「資源化の質」で勝負して、分別できなかった領域にも踏み込み、あれもこれも手掛けて、可能なカテゴリーを増やしてきました。扱い数量からいえば、単純に一人あたりをトン数で計算して、最盛期に比べると社員50人分が減っているけれども、だれもリストラしていません。50人分の仕事を編み出しているということ。コンプレッサーを割って、中の銅線をこうやってとか、はさみで切ってとか、社内で仕事量を確保してきています。

いつでも風を感じられる準備を

2001年にリサイクルファーム御津がスタートしたとき、プラスチックを再資源化したものを袋詰めしていても、当初、全く売れませんでした。世の中がまだ「バージンの素材で作ればいい」という時代だったためです。それが、法律で循環型社会の推進が図られることになり、家電メーカーも再生プラスチックを使ってものづくりをすることになって、一気に風が変わりました。注文が入って出荷できるようになった。家電リサイクルが始まって3年目の頃でした。

時代はいつどのように変わるか分からない。自分たちにとって追い風が吹いたとき、すぐに乗れるように、準備をしておかなければなりません。

例えば、今は法律の枠があって、我々は産業界の廃棄物しか処理できないことになっています。市町村で粗大ごみを処分する場合、破砕して、磁石で鉄などをとったあと、残りは燃やすというのが典型ですが、ヒラキン工場で選別ラインに通すと、さらに資源を回収できるので燃え殻が少なくなり、埋立地も延命することに直結する。「市町村ができない部分は民間の力を借りて」というふうに法律の条文が変わると、途端に仕事の領域は広がります。

「経営者の役割は、時代を先読みして新しい仕事の領域をつくること。そして、状況を判断しながら、次の仕事を生み出す仕組みをパズルのように組んだり、現場が忙しかったり順調にいっていたら動かないとか、暇になりそうだったらサインを出す、ピンチになったらタイムをかけるとか、組織のマネジメントをしていくこと」と、社長の平林実は考えています。

そのためにも、きっちりリクルート活動をして、人を育てていくことが大切です。ヒラキンは人がすべて。みんなの合計点で競うチーム体です。この業界でも再編が加速していますが、ヒラキンはヒラキンの道を行く。「もったいない」社風を守り、「ありがたい」仕事と社員を大切に、独自の道を歩み続けます。

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