昭和40年代半ば、高度経済成長期真っただ中にあった日本の地方都市を舞台に、昔気質で頑固一徹な父親と、その後ろ姿を見ながら大きな夢に向かって育つ負けず嫌いな息子の姿を描き、第9回市民の童話賞・最優秀賞を受賞した「わんぱく夢商店」。
この作品は、当時、ヒラキンの社員だった岡﨑こま子さんが、平林実(現社長)の少年時代のエピソードにヒントを得て創作しました。「リサイクルの必要性はみんな分かっているけれど、現実の社会では今なお、ある種の偏見が残っている。そんなジレンマを乗り越え、未来に向かってたくましく成長していく子どもたちの姿を描きたかった」という著者の想いは、次世代に美しい環境と豊かな資源を残すため、リサイクルに真剣に取り組むヒラキンへのエールでもあります。
わんぱく夢商店
第9回(平成5年)岡山市民の童話賞・最優秀賞 岡﨑こま子
「オーイ鉄、これを手伝え! 一時間百円だ」
「えっ、また皮むき? いやだなあ」
学校から帰るのを待ちかねたように、大きな声が奥からとんできた。
林鉄也、小学校五年生。
父親はこの街でちいさなスクラップ工場を経営している。
小さいといっても一応父親は社長、母親は専務、そしてぼくは次期社長。
だから小さい頃から、ひまさえあれば、缶をつぶしたり、皮むきという銅線をくるんだビニールをとる仕事をしたりと、色々な手伝いをさせられてきた。
「父ちゃん、百円は安いよ。百二十円ならしてもいいや」
「チェッ! 鉄も大きくなるにつれて、ケチなことを言いやがる。次期社長がそんながめついことを言っていると、従業員がついてこないぞ」
ぼくは、昨日調べたことを言いそうになったけれど、やめにした。
やっと二十円値上げしてくれたのに、気分が悪くなると九十円くらいに下げてしまう父ちゃんの性格を、ぼくは生まれた時から知っている。
皮むきの手伝いに来ているパートのおばちゃんは、一時間六百円もらっていることや、今銅はすごく値上がりしていることを、ぼくは調査済みだ。
でも口にはださない。タイミングが大切なんだ。
今日は三時間はたらいた。
ノートに三百六十円と書いて、↑印を記入しておいた(昇給の印だ)。
「鉄也、おつかれさま」
「母ちゃんだけだ、ぼくをちゃんと鉄也と呼んでくれるのは。
「母ちゃん、腹へった」
「ハイハイ。その前に父ちゃんとお風呂にお入り」
真っ黒な父ちゃんと灰色くらいのぼくは、服を全部脱いでお風呂に入った。
「なあ鉄。父ちゃんは、もっともっとこの工場を大きくしてやる。今に見ていろよ」
父ちゃんの口ぐせだ。
ぼくは、心の中で、(ぼくが大人になったら、その何倍も何倍も大きくしてやる)と思っていた。
お風呂の窓の外には、ぼくが一年生の時に学校で植えたアサガオが、今年で五回目の花をつけていた。
最初に咲いた花なんか、もう小さな緑の種をつけている。
(この種は、六年生のたまごか……)
ぼくは、ボンヤリと見ていた。
その時、鼻からなまぬるいものが、スーッとおちてきた。
(うん、何だ)
手をやると、血がべっとりとついている。
「父ちゃん、鼻血だ!」
「むこうを向け!」
ぼくをむこうへ向かせると父ちゃんは、後頭部チョップをかけてきた。
バン バン バン!
首の骨が折れそうなくらい後頭部チョップはいたくて、ぼくは頭がジーンとして、それからわからなくなってしまった。
あとで知ったことだけど、父ちゃんは近くの医者にすごくしかられたようだ。
なんでも、父ちゃんの大きな声でお風呂場をのぞいた母ちゃんは、顔面真っ赤のぼくを見て、すぐ医者をよんだらしい。
医者は鼻血とわかって、後頭部チョップをしている父ちゃんを思いっきりつきとばした。
父ちゃんは、今の今まで、鼻血には後頭部チョップがきくと信じていた。
母ちゃんは
「父ちゃんは、決して悪気はなかったんだからね。鉄也、ゆるしてあげてね」
と、ぼくにしきりに言ってくる。
ぼくは一年生の頃を思い出した。
あの時も父ちゃんの思いちがいから、しなくてもいい痛みを、ぼくは経験した。
その頃スーパーマンのまねにこっていたぼくは、ふろしきを胸のところにくくりつけ、マントをひるがえしてとびまわっていた。
机から机へと事務所の中は、ぼくのかっこうの遊び場だった。
ひらり、ひらりととんだのはいいけれど、「あっ!」と思ったとたん、長いマントがストーブの上のやかんをひっくりかえしてしまった。
熱いお湯は、ぼくの足に熱いかたまりとなってかぶさってきた。
「あついよー!」
ぼくの悲鳴に父ちゃんは大声で
「母ちゃん、台所からしょう油をもってこい!」
とさけんだ。
ぼくのあついお湯のかかった足に、今度は一升ビンに入ったしょう油が、からになるまでふりかけられた。
「痛いよう、しみるよう」
「うるさい!やけどにはこれが一番なんだ。なおる前は痛いに決まってらあ。男がメソメソなくな、バカヤロウ」
父ちゃんはたしか、その日も医者にしかられていたような気がする。
ぼくのしょう油づけの足は、当分の間歩けないほど大変だった。
夏休みに入った。
「父ちゃん、ぼくこの夏休みあまり手伝えないよ」
「どうしてだ」
「うん、ちょっとやりたいことがあるから」
「夏はあまりいそがしくないから、好きなことやりな」
朝ごはんを食べながらぼくの頭の中は、計画していることでいっぱいだった。
ぼくは、今までためてきた全財産をしらべた。
二年生くらいまでは、父ちゃんにうまくだまされてただ働きさせられたけど、
そのあとの三年間はばっちり時間給をせい求して、それを貯金してきた。
ぼくの汗と涙の結晶はずい分とあった。
午前中宿題をやって、昼の冷たいソーメンを食べ終わった頃
「鉄ちゃーん、いる?」
「オーッ」
ぼくの親友の山本健一、通称ケンちゃんだ。
ケンちゃんのお父さんは、昨年事故でなくなり、母一人、子一人で仲良くくらしているしっかりものだ。
頭もいい(ぼくより少し……)。
「ケンちゃん、袋もってきたか」
「ああ、母ちゃんのきんむ先のスーパーの粗品だけど、青と黒それぞれ十枚ずつくらいあるよ」
「サンキュー。今日のところはこれでオッケーだ」
「鉄ちゃん、ケンちゃん、オッス」
大きな体をゆっさゆっさゆらしながら来たのが、三上博志。
タレントのような名前からは想像もつかないような巨体で、動作ものろまなため、
博志の『博』の字を、動物のバクに結びつけて、バクちゃん。
「バクちゃん、起きれたのか」
「ああ、しっかり食べてきたから、今日は働くぞ」
「たよりにしてます」
ぼくとケンちゃんは、同時に言った。
「さあ、じゃあでかけよう」
ぼく達は、工場の裏からリヤカーをひっぱりだし、前から下見をしておいた、旭川の土手へ向かって出発した。
川原には、夏休みらしく、子供達の姿がたくさんあった。
「鉄ちゃん、この辺からいこうか」
「そうだな」
三人はリヤカーと一緒に土手をかけおりた。
車から投げ捨てられたり、家族連れがおいていった缶がたくさん、夏草にもたれていた。「バクちゃん、青のビニール袋がアルミ缶、黒の袋がスチール缶だよ。わからなかったら、このじしゃくでためすんだ」
「くっつかないのがアルミ缶だね」
「そうそう。じゃ、GO!」
「オーッ!」
ぼくたちはそれぞれに、缶を足でつぶしては拾っていった。
通りがかりのおばさん達が、
「まあ、感心ね」
と言って、手伝ってくれたりしたおかげで、みるまにビニール袋十枚がいっぱいになり、リヤカーの上は、黒と青の袋で山もりになった。
「あーあ、こしがいたいや」
バクちゃんが言った。
「けっこうあるもんだな」
ケンちゃんが言った。
ぼくらの汗にぬれた顔は、川の向こうにしずみかけた太陽でキラキラひかり、すがすがしい気分だった。
川風も(ごくろうさん)と、やさしく顔をなでていった。
「さあ、バクちゃんの出番だ」
「よし、まかせろって。こんなものおちゃのこさいさいだ」
バクちゃんはリヤカーをひっぱって、土手をのぼっていく。
ぼく達も後ろからおした。
ぼく達三人の夢を、リヤカーにのせて……。
「ただいま父ちゃん。これ高くかってくれよ」
「なんだこれ、どこからもってきたんだ」
父ちゃんは真っ黒になった三人の顔と、リヤカーをかわるがわる見て
「……まあ、あまり無茶をするなよ」
と言うと、缶を工場へ運ぶように指示し、自分もついてきた。
袋から出された缶は、機械のじしゃくでアルミ缶とスチール缶にきちんとわけられ、
それぞれを計ってけっこういい値段で買ってくれた。
ぼく達は大満足だった。
次の日はケンちゃんの母さんがつとめているスーパーに、缶をもらいに行った。
スーパーの店長さんはとてもいい人で、ぼく達に色々と協力してくれた。
粗品の袋もたくさんくれた。
ケンちゃんの母さんがたのんでおいてくれたらしい。
でも、スーパーの缶はほとんどがジュースの入っているスチール缶だったので、あまりいい値段にはならなかった。
ぼくら三人は、そのほかにもいろいろな場所で缶を集めてまわった。
公園の中とか酒屋さんとか。
夏休みが半分終わった頃になると、もうバクちゃんも見ただけで、
アルミ缶かどうかわかるようになり、三人の貯金はずい分ふえていった。